Thursday, March 31, 2011

スティーブ・ブラック氏

以前のブログ「Caribbean 1500 Rally」に書いたように、私が初めてカリブ海に来たのは、Caribbean 1500 Rallyに参加した2000年の11月。そのラリーを1990年から20年間主催していたのが、ブラック氏。去年あたりにその組織をイギリスのWorld Cruising Clubに譲った後、請われて引き続きアドバイザーの役目をしている。そのブラック氏は、ここの所ずっとトトーラ島にいて、今回のBVI Spring Regattaにも関係しているとの事。

話は変わって、以前ここNanny Cayで西日を避けるための日除けを作ってもらう為に、Quantumセールに依頼して寸法を測ってもらったのだけれど、何故か最近になってもう一度測らせてくれというので(多分、採寸したメモを失くしたのでは?)、一日おいてまたNanny Cayに戻ってきた。丁度、ドッキングした私達を、ブラック氏が反対側のスリップから見つけて話をしにきてくれた。久しぶりの対面なので記念にパチリ。


ボブはともかく、私は彼と個人的にあまり話をした事がなかったけれど、とても話しやすい紳士です。いろいろ聞いてみると、バージニア州のウォーターフロントにある家2軒を、ずっと売りにだしているけれどなかなか売れない、今乗っている船も自分に取っては少し大きいので小さい船に換えたいという。ふーん。じゃ、今トリニダードにある私達の船はどうですか?と冗談めかして聞いたら、本気か?みたいな感じで笑っていた。実は半分は本気です。このままチャーターの仕事を続けるとしたら、愛艇を売る事も考え始めている。どなたか、BABA30に興味ありませんか?

退職後の楽しみ(友人カップルの場合)


友人のゲーリとナンシーが、丁度セントトーマス島からイギリス領に来たというので、落水したNanny Cayから彼らが停泊している同じTortola島のTrellis Bayまで会いに行った。ナンシーはずっと教職に就いていて、この6月に退職するので、これまた最後の春休みをバージン諸島で過ごしている。彼らはこのボートを1年前に買ったばかり。これからリタイア後のクルージングライフを満喫するプラン。いいなぁ、羨ましいなぁ。私達はリタイアまで、あと15年は働かねば。体持つかなぁ。。

Monday, March 28, 2011

落水!

船から落ちてしまいました!セーリングを始めて15年程経つけれど、水中に落ちたのは初めてです。

次回のチャーターまで日にちがあるので、こんな時にしかできないメインテナンスがあれこれあり、そのうちのひとつにコックピットカバーのジッパーを直す必要が生じた為に、今朝Tortola島のNanny Cayというマリーナに行きました。

コックピットのカバーは外して直しに持って行った

短波ラジオでマリーナに問い合わせたところ、今週はBVI (British Virgin Island) Spring Regattaがあるとの事でマリーナが満杯。

レースの前夜祭の準備中でした

それでもT字型ドックがひとつだけ空いているというので行ってみた。ところが、そのドックの前半分には既にモーターボートが横付けしており、後方半分は私達の船の半分位のスペースしか無い。うーん、ちょっときついなぁ。でも他に選択肢が無いから横付けする事にした。

いつもならボブの腕を信用して完全に横付けするまで待っている私だけれど、今回は前のモーターボートに接触したらどうしようという不安感が先立ち、いつもは低い船尾からドックに降りるのだけれど、
船尾だとこんなにドックに近い

今日に限っては高い船首から降りるしかなかった(とボブに言わずに勝手に思ってしまった)。

船首と船尾の写真はカバーを引き取った後に
水を補給しに行ったドックでの物。
ここは十分なスペースがありました。

タイミングを見計らってジャンプした。いや、正確には降りたつもりだった。が、しかし、船とドックの間にスペースが有りすぎた。いつもより少しスペースがあるかもと思いながらもジャンプしてしまった私の両足がしっかりとドックに降り立つ前にバランスを崩してしまい、何と両手は船につかまったままで体が宙に浮いてしまった!まさにOh My God!の状態。えっー、まずい!ボブ、お願い、もう少しドックに近寄ってと彼の方を見たけれど、後から聞くに、こんな時に限って左側のエンジンがうまく作動せず、それに気を取られていて私がジャンプしたのを見ていなかったらしい。気がついたら私の手だけが船のクリートに捕まっていて、何?何だ?Enoは何故あんな所にぶら下がっているのだと焦ったようだ。そのままドックに近づいたら私が船とドックに挟まってペシャンコになる恐れがあるので、何もできない。そしてそのまま数分が過ぎて私の腕の力が尽きてしまった。

もう、水中にジャンプするしかない。バッシャーン。降りたは良いが、今度は自力でドックに上がるしかない。でも、水面から見るとドックは以外に高い。うぇー。どうしよう。そのままの状態で対策を練る。そんな私をちょっと先のドックにいた人が見つけ、ドックマスターに助けるようにシグナルを送った。それからすぐに助けが来ると思ったが、思ったより時間がかかった。到着したドックマスターが先に船のロープを係留しようとすると、ボブが「彼女を先に助けてくれ!」と言ってくれた。さすがは私の旦那様!と感心した。その時にはシグナルを送ってくれた男性も来てくれ急いで私の腕を掴み引き上げようとしてくれた。でも、私が足を掛けるドックの水中部分にはフジツボが付着していて足を怪我する不安があり、ちょっと間を置いて両手を持ってもらった。そのタイミングに少しずれがあり、思わずレスキュー隊員が逆に水中に引き込まれそうになった。おっと、マズイ!急遽、態勢立て直し。オーケー、1、2、3、Now! Enoちゃん、無事にドックに引き上げ成功!良かった、良かった、でも、赤面。。

落ち着いた後に何か可笑しくて笑ってしまったが、かなり心配したボブから、「笑い事では無い!」ときついお叱りを受けてしまった。私も反省。でも、自分自身もこんな事初めてでびっくりしました。

これ程気を揉んだ事は無い、気持ちを沈めるにはこれが必要だ!と珍しくお昼からボブが柘榴とメロンの2種類のマティーニを作った。良い色合いでしょう?でも、これを飲んだらもう何もできず、メローな状態で午後を過ごしました。まぁ、怪我もせずに無事だったので、いいかな?


ザクロのボッカマティーニ

Midoriを使ったボッカメロンマティーニ

チャーター終了後の夕食?


チャーターが終わった後は、もう食事を作る気力が無く大抵こんな感じです。チーズ、サラミ、フランスパン、黄色のピーマン、それに赤ワイン。要するに残り物を適当にテーブルに乗せるだけ。夕食なんて呼べないですね。でも、ふたりとも満足。外食に出かける時もあるけれど、それが叶わない場所にいる時はこれで十分。今回はチャーターが終わっても、メインテナンスの為にイギリス領に留まっています。

Sunday, March 27, 2011

Scrub Island Marina & Resort

マリーナの向こう側が離れ小島のMarina Cay。その奥にBeef Island。

数年前までは何も無かったイギリス領のScrub Islandにリゾートができた。建築中の様子を対岸のMarina Cayに停泊した際に何度も目にしていたが、今回初めて訪れてみた。あっち側から見るのとこちら側に来て見るのとでは全く違うイメージで思ったよりもいい感じ。やはり実際に足を運んでみないといけないなぁと思った。では、写真をいくつか。

プールがそのまま海へ。名付けてInfinity Pools(無限のプール)

ダイニングルーム

ダイニングルームのバー

こちらはプールバー。スキューバダイビングのレッスンにも最適

涼やかなロビー

珊瑚礁の海が故郷の沖永良部島を思い出させる

リゾートと島内を歩き疲れて一休み

Saturday, March 26, 2011

女子大生チャーター終了


心配した風もおさまり、最後の日はマリーナキー(Marina Cay)で過ごす。キャプテン・ボブ特性のカクテル、ブルーカルビアンにハッピーフェース!


この小さな島のレストランで最後の夕食をする彼女達を送り出した後、私とボブはのんびり静かに夕食を摂る。何せ女3人でも姦しいのに、6人集まったらもう喋る喋る。それも大声で複数が同時に喋るので、私とボブは耳に栓状態。

ゲストが乗るアメリカンイーグルの飛行機到着です。

そして、今日の午後12時に出発地点のTrellis Bayで彼女達を下ろしチャーター終了!ボブと私のハッピーモーメント。どんなに良いお客さんでも、1週間24時間一緒にいるとやはり疲れます。お客さんを見送った後はふたりだけの貴重な時間です。


ペリカンもお疲れさま!とねぎらってくれました!

Thursday, March 24, 2011

女子大生6人組

土曜日から始まった今回のチャーターは今日で5日目。ゲストはメリーランド州からの女子大生6人。5月に卒業を控えた最後の春休みをここカリブ海のバージン諸島で過ごす仲良し6人組。そのうちのひとりがこの船のオーナーの娘で、卒業プレゼントを兼ねているのだと思う。到着日は満月のフルムーンパーティーがある日と重なったので停泊地が込む事が予想され、イギリス領トトーラ島の空港のすぐ傍まで2日前から迎えに行った。

待ちきれず、到着してすぐに水着に着替え海に飛び込む。

女性ばかりとなれば、もちろんショッピングは欠かせない。陸まで連れて行くボブ。

一度はロブスターを食べたいという大方の要望で、今回はJost Van Dyke島にあるSidney'sへ。ここのバーは自分でサービスをする自己申告制度。自分達の船の伝票に飲んだ分をつける。皆21才以上なのでアルコールはOK。

お待ちかね。ロブスターの到着。メリーランドでブルークラブ(ワタリガニ)を食べ慣れているせいか剥き方も上手で、しっかりと足の身も食べていた。感心。

食後は記念の落書き。ひとりひとりが順番にサイン。さぁ、あと2日。ここのところ結構風が強いので、行く先の選択に頭を悩ます。明日は風がおさまりますように。。。

Saturday, March 19, 2011

元気が出る話

とてつもない打撃を受けた今回の大地震。復興の為には避けて通れない気持ちが沈むような毎日。それでも誇り高く思いやりのある私達の同胞は、本来人間が持っている素晴らしい面も見せてくれました。ニューヨークに住んでいる友人から届いた以下のメール。Twitterに載っていたのをお友達が送ってきてくれたとの事。夜中に涙を流しながら読み、元気をあげる側である筈の私が元気をもらいました。私達の国を救ってくれているひとりひとりの方に心から感謝致します。

11月に帰国した時に、のぞみ号の中から見た富士山。
日本の象徴。いつ見ても感動します。
****

こんなメールがきました。
涙がでてしまいました。感激したので転送します。
すばらしい民族です。日本人を誇りに思ってます。


【@smzasm】
”暗すぎて今までに見たことないくらい星が綺麗だよ。
仙台のみんな、上を向くんだ。”

【@unosuke】
ディズニーランドでは、ショップのお菓子なども配給された。
ちょっと派手目な女子高生たちが必要以上にたくさんもらってて
「何だ?」って一瞬思ったけど、その後その子たちが、避難所の
子供たちにお菓子を配っていたところを見て感動。子供連れは
動けない状況だったから、本当にありがたい心配りだった。

【@kiritansu】
物が散乱しているスーパーで、落ちているものを律儀に拾い、
そして列に黙って並んでお金を払って買い物をする。運転再開
した電車で混んでるのに妊婦に席を譲るお年寄り。この光景を
見て外国人は絶句したようだ。本当だろう、この話。すごいよ日本。

【@akitosk】
国連からのコメント
「日本は今まで世界中に援助をしてきた援助大国だ。今回は国連が
全力で日本を援助する。」

【@micakom】
一回の青信号で1台しか前に進めないなんてザラだったけど、誰もが譲り合い穏やかに運転している姿に感動した。複雑な交差点で交通が5分以上完全にマヒするシーンもあったけど、10時間の間お礼以外のクラクションの音を耳にしなかった。恐怖と同時に心温まる時間で、日本がますます好きになった。

【@ayakishimoto】
昨日の夜中、大学から徒歩で帰宅する道すがら、とっくに閉店したパン屋のおばちゃんが無料でパン配給していた。こんな喧噪のなかでも自分にできることを見つけて実践している人に感動。心温まった。東京も捨てたもんじゃないな

【@copedy】
韓国人の友達からさっききたメール。「世界唯一の核被爆国。大戦にも負けた。毎年台風がくる。地震だってくる。津波もくる・・・小さい島国だけど、それでも立ち上がってきたのが日本なんじゃないの。頑張れ。超頑張れ。」ちなみに僕いま泣いている。

【@aquarius_rabbit】
ホームで待ちくたびれていたら、ホームレスの人達が寒いから敷けって段ボールをくれた。いつも私達は横目で流してるのに。あたたかいです。

【@dita_69】
サントリーの自販機無料化、softbankWi-Fiスポット解放、色んな人達が全力で頑張っててそれに海外が感動・協力してる。海外からの援助受け入れに躊躇したり自衛隊派遣を遅らせたりしてた阪神淡路大震災の頃より日本は確実に強い国になってるんだ。

【@tadakatz】
終夜運転のメトロの駅員に、大変ですねって声かけたら、笑顔で、こんな時でから!だって。捨てたもんじゃないね、感動した。

【@rasuku】
都心から4時間かけて歩いて思った。歩道は溢れんばかりの人だったが、皆整然と黙々と歩いていた。コンビニはじめ各店舗も淡々と仕事していた。ネットのインフラは揺れに耐え抜き、各地では帰宅困難者受け入れ施設が開設され、鉄道も復旧して終夜運転するという。凄い国だよ。GDP何位とか関係ない。

【@hirata_hironobu】
2歳の息子が独りでシューズを履いて外に出ようとしていた。「地震を逮捕し行く!」とのこと。小さな体に宿る勇気と正義感に力をもらう。みなさん、気持ちを強く持って頑張りましょう。

【@fujifumi】
4時間の道のりを歩いて帰るときに、トイレのご利用どうぞ!と書いたスケッチブックを持って、自宅のお手洗いを開放していた女性がいた。日本って、やはり世界一あた
たかい国だよね。あれみた時は感動して泣けてきた。

【@yoh22222】
停電すると、それを直す人がいて、断水すると、それを直す人がいて、原発で事故が起きると、それを直しに行く人がいる。勝手に復旧しているわけじゃない。俺らが室内でマダカナーとか言ってる間クソ寒い中死ぬ気で頑張ってくれてる人がいる。

【@bitboi】
NHKの男性アナウンサーが被災状況や現況を淡々と読み上げる中、「ストレスで母乳が出なくなった母親が夜通しスーパーの開店待ちの列に並んでミルクが手に入った」と紹介後、絶句。沈黙が流れ、放送事故のようになった。すぐに立ち直ったけど泣いているのがわかった。目頭が熱くなった。

【@nekoshima83】
千葉の友達から。避難所でおじいさんが「これからどうなるんだろう」と漏らした時、横に居た高校生ぐらいの男の子が「大丈夫、大人になったら僕らが絶対元に戻します」て背中さすって言ってたらしい。大丈夫、未来あるよ

【@mameo65】
家屋に取り残され、42時間ぶりに救出された高齢の男性の映像。「チリ津波も経験してきたから、だいじょぶです。また、再建しましょう」と笑顔で答えていた。私たちが、れから何をするかが大事。

【@oka_0829】
駅員さんに「昨日一生懸命電車を走らせてくれてありがとう」って言ってる小さい子達を見た。駅員さん泣いてた。俺は号泣してた。

 【”Operation Tomodachi” 米軍による救援活動作戦名】

 我々も自分たちにできることからやって行こう!!
 頑張れ!ニッポン!!

Friday, March 18, 2011

3ヶ月ぶりの「和多星すし」

1週間大働き(?)した後は、自分達にご褒美をあげる事に決めた。それは他の人に食事を作ってもらう事!という訳で、久しぶりにお寿司を食べに行く事にしました。行く先はもちろん「和多星」。ヒデさんとリーダに会うのは3ヶ月ぶり。同じ島内に住んでいてもお互いに客商売、なかなか会う事ができません。おまけに車がない私達は友人が車を貸してくれる時にしか足がない。でも、今回はタクシー代を払ってでも食べに行きたいので、行きはともかく帰りもタクシーが呼べるのか電話で聞いたら、お店がひけるまで待っていてくれたら送ってくれるとの有り難い申し出。素直に甘える事にした。



 
さて、今回はちゃんと最初から写真を撮るつもりですよ。まずは前菜の3点盛り。Wahoo (カマスサワラ)づくしです。左側が南蛮漬け、中央が白みその酢みそ和え、そして右側がコールラビ(カブの仲間)、塩昆布、らっきょ和え。それぞれが繊細な味で白身魚を引き立てていてもう最高に美味しい!特にコールラビのしゃきしゃき感は新鮮味抜群でした。ヒデさん、また腕をあげましたね。限られた食材を使っていろいろ工夫しているのがとても良く伝わってくる。でも、苦労してますという風ではなく、本人が楽しみながらいろいろ勉強してチャレンジした一品一品が、さり気なく出てくるのがうれしい。

 

日本酒はまず冷やで蒲原と雪影。新潟のお酒は美味しいね。その後常温で鳳麟(ホウリン)。月桂冠の純米大吟醸のこのお酒は、ワインを買いに行ったお店2件で鍵をかけた棚に堂々と収まっていたのを見たので飲んでみたかった。成る程、お二人が奨めるように美味しい。(冷やではそれ程旨味がでないとか。)

次が刺身の5種盛り。近海で捕れたマグロ、カマスサワラ、ボストン帆立、サーモン、それにハマチ。こちらも目と舌でゆっくりと味わいながら、でもペロッと食べてしまいました。

そして、この後はお寿司です。和多星ではちゃんとしたメニューの他に、自分が食べたい物を予め印刷された用紙に書き込んで注文できるようになっている。私達も好きなネタにチェックをいれて出来上がりを待つ。ヒデさんが握ったり巻いたりして目の前に置いてくれるお寿司を次から次へと口の中に運んだものだから写真の事は忘れてしまい、写したのは以下の2点のみ。はは。



デザートはちゃんと撮りました。黒ごまのきなこムースココナッツミルク入り。これがまたとっても美味しくて、ボブと二人で顔を見合わせてにっこり。普段はあまりデザートを食べないけれど、ここへくると楽しみで必ず食べます。


そして、壁に掛けられたヒデさんのお母様直筆だという「びょうじょうしんこれどう」という書を見ながら心とお腹を休めます。


おふたりが後片付けをして遅い夜食を摂る間に少し待つ。今夜は久しぶりにゆっくり会話ができて良かった。ありがとう&ごちそうさまでした!また来るね。

おまけ。野良のネコちゃんもちゃんと所定の場所で夕食を頂いていました。

Wednesday, March 16, 2011

ナイス・カスタマーズ

日曜日に終わったチャーターは、バーモント州とボストンから来たファミリーでとても良いお客さんだった。

良く食べ、

良く飲み、

良く遊び、


そして良く言う事も聞いてくれ、私達の仕事がやりやすいように気を配ってくれました。大病を煩い現在も治療中ながら、とても楽天的でフレンドリーなお母さんへのプレゼントとしてこのバケーションを計画した孝行息子&娘とその配偶者達。仲の良いファミリーに囲まれて遣り甲斐のある一週間でした。


そして、何と今回もお客さんが魚を釣り上げました!でも、その魚が何だったのか判らずじまい。さわらでは無いかと思うけど確かでは無い。生姜醤油で煮た新鮮な魚に皆大喜び。(また写真は撮り忘れです。。ハーッ。)

Monday, March 14, 2011

祖国

愛する祖国を突然に襲った大地震と津波のニュースは、チャーター中のイギリス領で遠くオハイオ州にいる友人からのEメールで知った。家族は大丈夫かと心配してくれる彼女からのメールを貰った後、ボブがすぐにインターネットで調べてくれた。そこにあった記事や映像は私の想像を遥かに超えていた。日本に電話をできる状況では無かったので(またできたとしても多分繋がらなかったと思う)Eメールで連絡をしたら、横浜に住む妹からすぐに返信があり、他の姉妹や家族も大丈夫との事でほっとひと安心。一番下の相模原市に住む妹からも揺れと13時間の停電に不安な夜を過ごしたものの大丈夫だとのメール。

そして次の夜、チャーター客を夕食後に連れて行ったレストランバーのテレビで初めてCNNの映像を見た。生々しく悲惨な状況に自分の国が壊されるのではという不安な気持ちにかられた。これまで「故郷」は何度も意識してきたけれど、「祖国」という言葉が初めて私の胸のうちに意識された瞬間だった。気遣ってくれるお客さんを必要以上に心配させないように平静を装ったものの、知らずに目が涙でかすんでしまった。それを悟られないように意識的にテレビの画面から目をそらす自分。日本という愛すべき祖国があるからこそ、こうして遠くに住んでいても自分をなくさないで生きていられるのだと言う事を改めて実感している。

昨日でチャーターが終わりアメリカ領に戻って来たけれど、リアルタイムで情報を追う事が出来なかった為に、地震発生からの様子が細切れのままである。まだ寒さが残るこの時期に家を失った人達、家族や友人と連絡が取れずにいる人達の無事、不幸な事に亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り致します。

Wednesday, March 9, 2011

無人モアリング料金支払所

今回のチャーターの初日は、米国領セントジョン島のMaho Bayに停
泊。島の3分の2が国立公園になっている事もあり、自然保護
には並々ならに力を注いでいる。そのおかげで美しい自然が保たれてい
る。モアリング料金も15ドルととても良心的。備付けの用紙と一緒
に現金を無人の料金箱に入れるHonor System。ちゃんと正直に支払
います。今回はディンギーではなく、船自体はをこの小さな料金所に20
秒くらい横付けして支払いました。風が強いとなかなかこうは行きませ
ん。

Monday, March 7, 2011

Stand Up Paddle Board

今日から1週間のチャーターをする6人組のお客さんが、最近はやりのStand Up Paddle Boardを漕ぎたいというので、レンタルする事にした。初心者だったら一番簡単で安いのでいいんじゃないと勧められ175ドルで借りた。実は私達も初めてなので取りあえず仕組みを教えてもらった。上に立ち上がって漕ぐだけだから簡単そうだけど、多分実際にやったら最初は難しいんだろうね。この1週間で機会があれば試してみようかな。

風情のあるオフィスで支払いをすませ、

ビーチのディンギーまで一緒に運んでもらいました。

ざぶんざぶんと打ち寄せる波で揺れるディンギーに乗せるのにちょっと手間取りました。

他にもいろいろマリンスポーツのレンタル商品が並んでました。去年はこの近くにずっといたのに、ここまで足を運んだのは初めて。陸から見る景色はまた違う雰囲気。さぁ、今週もまた頑張ろう!